宇宙に比べたら大体壮大ではないので元気に頑張って生きたい

腐を兼任しためんどくさいオタクが思ったことをめんどくさくポエティックに話していく備忘録。大体偏見と妄想でできてるけどインターネッツってそんなものだし気にせず頑張っていきたい。

「君の名は。」感想/秒速5センチのきずあと

君の名は。」を見てきました。泣きました。そういう話です。主にラストについて話します。

最初のわけがわからない状況からの、中盤のコメディな疾走感、そしてラストのハラハラ感。どれをとっても最高の作品でした。金を払った悔いはまったくなかったです。間違いなく新海誠の集大成でした。

この映画について、「新海誠の集大成」という煽りを何かで見た気がしました。気のせいだったらすみません。でも確かに、私はこの作品が新海誠の、ここまで作ってきた作品の集大成なのかな、という感覚を抱きました。とはいえ、私は秒速5センチメートル言の葉の庭しか見ていないんですけど。

なんでそう思ったのか、って話です。ラスト、就活中の瀧と三葉がすれ違い続けるシーン。多分気付かれた方はいっぱいいると思うんですけど、あれはきっと秒速5センチメートルのセルフオマージュだと思うんです。桜並木。ずれ続けるタイミング、歩道橋の上からのカット。「東京」の路地裏。出逢ってくれるのだろうか、と胃が重くなりました。他の監督の作品なら、ここまで来たらハッピーエンドだと思えるでしょう。でも新海誠はそうじゃない。彼は、秒速5センチメートルで、そのまま出逢わなかった2人を描いた。描ける人だと私は知ってるんです。そしてデジャビュのカットの数々。頼む頼むと最後は手を合わせて祈るようにして、そして、そして、最後。「私も」という言葉を聞いた瞬間、強烈な安堵感に思わず泣き崩れました。出逢ってくれて本当によかった。秒速5センチではできなかった、あなたたち2人が「出逢う」という、あまりにも単純な、でもその実ひどく奇跡にあふれた出来事が、やっと起きてくれたのです。

新海誠はずるいと思うことがあります。彼は、秒速5センチメートルで、一般的にアンハッピーエンドだろう終わらせ方で、1時間の映画を終わらせました。邦画としても、アニメ作品としても、異常に近いのではないか、と思います。それでもあれだけ美しく描き切ったのは新海誠の実力ですし、だからこそあれだけ評価されたのだと思います。それはすごいことです。
ただ、その分、視聴者の記憶は鮮明です。「言の葉の庭」を見るときも、「君の名は。」を見るときも、秒速5センチメートルのラストが常に付きまといます。すなわち、「結ばれないラストになる可能性」です。そして、それがあるからこそ、思いが結ばれただけ、再会できただけのあのラストが、より一層感動できるのだと思います。
君の名は。を一緒に見に行った友人の1人は新海誠作品自体が初めてでしたが、彼女からしてみれば「映画は面白かったが最後はただ再会しただけ」という感じ方だったそうです。だけど秒速5センチメートルを見てから見た人はそうとは取れない。思いが結ばれてくれたこと、再会してくれたこと、ただそれだけがすごく奇跡なのです。タイトルできずあとと書きましたが、むしろ呪いに近い。そういう意味で、ただ結ばれただけ、再会できただけをあれだけ感動に落とし込める下地を作ってしまった新海誠はずるいと思います。

だからこそ、この作品は、新海誠の最新作であると同時に、再会できなかった2人、そして再会を約束できない2人を経て、やっと再会できた2人を描いた、新海誠の一旦の集大成でもあるのかもしれない、と思いました。そして、これは本当に上からの目線になるけれど。9年前、すれ違ったまま終わらせることでしか人の心に引っかき傷を残すことのできなかった新海誠が、今、きちんと結ばれることで人の心を掻き毟ることができるようになる、成長の過程でもあるのかなと。
そう思いました。



ここからは、本当に思ったことをつらつらと。

・てっしーの三葉に対する恋心は、「親のせいで町から弾きものにされる同士の仲間意識」みたいなものを勘違いしたんだろうな、という話を友人としました。男の子ってやっぱりそういうの遅いって言うし、仲間意識を恋と勘違いしても仕方ないよね、と思います。その上で、勅使河原に思いを寄せるさやかとの泥沼に陥らず落ち着くところに落ち着いたのは、覚えておらずとも瀧をずっと探し続ける三葉が、一足先に3人から抜け出てしまったことが大きいのだろう、と思いました。

新海誠は「ここにいない誰かに思いを傾けるひと(とそれを気にかける周囲)」という構図が好きなのだろうと思いました。一番顕著なのは秒速5センチメートルで、鹿児島にいながらヒロインに心を傾ける主人公(遠野くん)とそれを見つめて片思いをする現地の女の子(澄田ちゃん)。言の葉の庭なら学校のサボりがひどくなる孝雄を心配する周囲。そして君の名は。ならお互いしか知らない入れ替わりの相手に思いを寄せていく三葉と瀧、それを放っておけない周囲。特に奥寺先輩あたりは結構顕著だったなあと思いました。奥寺先輩は、瀧の視線が自分から外れて、どこともしれないところを見ている(ように見えた)からこそ、自分から構いにいって、最終的に自分から連絡を取って会うくらいに気安い関係になれたのだと思いました。これもある意味のフェチズムなのかな。

・冷静になってから気づいたんだけど、ユキノ先生があの町で教師をしていたってことは、彗星の落下でユキノ先生死んでてもおかしくなかったんじゃ…もしそうならそれはあまりにも孝雄がかわいそうなので、そういう意味でも救ってくれてありがとう瀧くん…



あと、蛇足として。
数日前、ツイッターで「君の名は。公開記念として秒速5センチメートルを配信したことは間違いだったと思う。こんな話作る監督の作品見たくないって人もいたけど、君の名は。秒速5センチメートルは違うから」みたいなツイートが回ってきました(ツイート見失ってしまった上にうろ覚えですすみません)。
だけど、私はそうは思いません。むしろ、君の名は。秒速5センチメートルを見てから見てほしい。秒速5センチメートル君の名は。は確かに違いますが、前述の通り確かに続くものでもあります。秒速5センチメートルを見てこそ、すれ違い続ける間あれだけハラハラしたし、再会できたときの喜びがより強くなるんじゃないかと思ってやみません。

以上。大変たのしかったです。ありがとうございました。